"ピッティ・インマージネ・ウォモ"は、毎年2回、1月と6月にフィレンツェで開催する、世界最大規模のメンズファッションの展示会である。

"ウォモ"はメンズということだけど、

そもそも"Pitti(ピッティ)"て何?

地名ではなさそうですし、鳥のさえずりにも聞こえるのですが…(笑)

実は"ピッティ"というのはそもそも550年位前にいた人の名前です。その名前は"ルカ・ピッティ"。フィレンツェの銀行家である。

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ルカ・ピッティ肖像画

その頃のフィレンツェというのはなんといっても商工業者の街で、最盛期には共和制をとっていた為、王様がいませんでした。そんなフィレンツェでも有力な権力者だったのがあの"メディチ家"

メディチ家と言えばあのお笑いの髭男爵のネタでお馴染みの

ルネッサーンス‼︎(ちょと古すぎるか?)

の時期にその財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、の数々の芸術家のパトロンとして有名ですが…

実はその出自はかなり怪しい、"メディチ"という言葉は英語で"メディシン"、つまり"薬"を意味するのでもあるが、元々は薬屋か医者ではあったかもしれないが、地位を得る為にかなり危ない橋を渡ってきた輩かもしれないんです。

つまり成り上がりなのである。

そんな成り上がりが権力を握ることは名門の出であるルカ・ピッティには面白いはずはない。

銀行家 VS 成り上がりである。

半沢直樹 VS 矢沢永吉である〜あまり関係無いが…(笑)

ルカ・ピッティは対抗する為にメディチ宮よりも豪華な建物を作ることに情熱をメラメラと燃やす。それが"ピッティ宮殿"が出来るきっかけになったのである。

彼はよっぽどメディチ家に対抗意識が強かったのか、自分の事業がやばくなっても銀行家のくせにピッティ宮殿の建設には投資を惜しまなかったようだ。

結局、宮殿が完成する前に彼は亡くなってしまい、ピッティ家は没落し建設は頓挫する。

なんと!工事が再び始まるのに実に100年の月日が流れた。

エライコッチャ!エライコッチャ!

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ピッティ宮殿

そして皮肉にも手を差し伸べ、それを買い取ったのはかつてのライバルのメディチ家であった。

ピッティ家はその後フィレンツェでの権力をすべて失い、流れ流れて現在はアメリカにその子孫がいるとのこと。

一方、栄華を極めたメディチ家はついに1569年ついにトスカーナ大公(王様)まで登りつめるのだが結局、最後の頃は後継ぎの子供がそろいもそろって男色に走り、家系が絶えてしまう。

ピッティ宮殿はメディチ家の後はロートリンゲン家、ナポレオン率いるフランス軍、サヴォイア家と度々持ち主を替え、1919年イタリアの王様、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって国家に寄贈されたのでした。

その後、ピッティ宮殿で1953年にジョヴァンニ・バッティスタ・ジョルジーニ(通称ジョジョ?) という貴族がなんとファッションショーを始めたのが"ピッティ・ウォモ"のきっかけになったのです。

そしてついに1972年ピッティ宮殿の白の間で第1回のピッティが開催される。

現在ではピッティ宮殿ではなく、かつてメディチ家の持ち物であったバッソ要塞が使われています。

歴史ある芸術そしてファッションの都、フィレンツェ。

550年前のルカ・ピッティのピッティ宮殿への情熱は、イタリアのファッションイベントの名称として現在も引き継がれています。

2016年6月14日数えで45年目、第90回目のピッティが始まります。


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