2003年2月1日スペースシャトルコロンビア号は大気圏に突入の際、空中分解した。
当時は2001年に9.11の同時多発テロのすぐ後であり、イラク戦争の開戦前ということで、世相はどんよりとした不安で暗い中での衝撃的な事故であったように覚えている。
最近ネット記事でそのコロンビア号のパイロットであるウィリアム・マッコール(William McCool)の素晴らしい言葉を目にしたのがこのブログを書くきっかけになった。
その内容はというと…
ミッション中、マッコールはジョンレノンの「イマジン」が好きでモーニングコールに使用していた。
イマジンの歌詞を引用したその言葉は朝目覚めた同僚のイラン・ラモーン(Ilan Ramon)と宇宙から地球を眺めて発した言葉であり、そこには迫りくる戦争に対する「平和と反戦」の願いが込められているように感じる。
ただしこのアメリカ人のマッコールの言葉は当時イラク戦争直前であり、「イマジン」自体が反戦というイメージが強かった為、国策で記事やネットから隠滅されようといていた。
しかし、この言葉はイスラエル人のラモーンよってそのままヘブライ語に翻訳され、地上に伝えられたのである。
左がウィリアム・マッコール右がイラン・ラモーン wikpediaより
驚きなのはこの平和のメッセージが2人の軍人から発した言葉だからである。
元々、宇宙飛行士の船長や操縦士は訓練や座学が省けることもあり、また軍事機密も多いため、海軍(空母)や空軍のパイロットが多い。そして軍に在籍したまま職務を勤める。
特にラモーンは祖母と母がアウシュビッツ収容所の生き残りであり、世俗的なユダヤ教徒として育てられ、1981年イラク原子炉爆撃事件にF16戦闘機のパイロットとして最年少で参加した数々の実績と経験を積んでだバリバリの軍人である。
さらにイスラエル初の宇宙飛行士であり、ユダヤの代表という自覚もあるので民族意識が強く、例えばテレジン収容所で発行されていた秘密の新聞ヴェデムの編集長をつとめていて、アウシュビッツに移送され命を落とした少年、ペトル・ギンツが描いた鉛筆画『月の風景(Moon Landscape)』をコロンビア号のミッションに持ち込んでいる。
もちろん、自国の9.11同時多発テロを経験しているマッコールも海軍の飛行機乗りである。
2人は国籍も違い宗教も違う仲間達と厳しい多くの訓練やスペースシャトルのミッションを経験して、宇宙から国境など無い美しい地球を眺めた時に、国籍、人種ではなく、地球人として達観した境地に至ったのではないでしょうか。
今尚、絶え間無く世界の紛争は続いている。
もし、2人が生きていたら、少しは世界は変わっていただろうか?
もし、人類の多くが宇宙から地球を眺めることが出来るような時代がくれば、世界の紛争は無くなるのか?
今は想像することしか出来ない。Imagine all the people living life in peace...
あのスペースシャトルコロンビア号の空中分解の中で奇跡的に炭化せず残ったラモーンの日記の最終日にはこう記されている。
この日記の言葉は間違いなく、イスラエル人ラモーンのメッセージではなく、地球人ラモーンとしての最後のメッセージになった。
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当時は2001年に9.11の同時多発テロのすぐ後であり、イラク戦争の開戦前ということで、世相はどんよりとした不安で暗い中での衝撃的な事故であったように覚えている。
最近ネット記事でそのコロンビア号のパイロットであるウィリアム・マッコール(William McCool)の素晴らしい言葉を目にしたのがこのブログを書くきっかけになった。
その内容はというと…
私たちがいる周回軌道上という眺望のよい地点からは、国境がなく、平和と、美と、壮麗さに満ちた地球の姿が見えます。
そして私たちは、人類が一つの全体となって、私たちがいま見ているように、国境のない世界を想像(イマジン)し、平和の中で一つになって生きる(live as one in peace)ように努力することを祈ります。
『宇宙飛行士の言葉はなぜインターネット上にないのか』より
ミッション中、マッコールはジョンレノンの「イマジン」が好きでモーニングコールに使用していた。
イマジンの歌詞を引用したその言葉は朝目覚めた同僚のイラン・ラモーン(Ilan Ramon)と宇宙から地球を眺めて発した言葉であり、そこには迫りくる戦争に対する「平和と反戦」の願いが込められているように感じる。
ただしこのアメリカ人のマッコールの言葉は当時イラク戦争直前であり、「イマジン」自体が反戦というイメージが強かった為、国策で記事やネットから隠滅されようといていた。
しかし、この言葉はイスラエル人のラモーンよってそのままヘブライ語に翻訳され、地上に伝えられたのである。
左がウィリアム・マッコール右がイラン・ラモーン wikpediaより
驚きなのはこの平和のメッセージが2人の軍人から発した言葉だからである。
元々、宇宙飛行士の船長や操縦士は訓練や座学が省けることもあり、また軍事機密も多いため、海軍(空母)や空軍のパイロットが多い。そして軍に在籍したまま職務を勤める。
特にラモーンは祖母と母がアウシュビッツ収容所の生き残りであり、世俗的なユダヤ教徒として育てられ、1981年イラク原子炉爆撃事件にF16戦闘機のパイロットとして最年少で参加した数々の実績と経験を積んでだバリバリの軍人である。
さらにイスラエル初の宇宙飛行士であり、ユダヤの代表という自覚もあるので民族意識が強く、例えばテレジン収容所で発行されていた秘密の新聞ヴェデムの編集長をつとめていて、アウシュビッツに移送され命を落とした少年、ペトル・ギンツが描いた鉛筆画『月の風景(Moon Landscape)』をコロンビア号のミッションに持ち込んでいる。
もちろん、自国の9.11同時多発テロを経験しているマッコールも海軍の飛行機乗りである。
2人は国籍も違い宗教も違う仲間達と厳しい多くの訓練やスペースシャトルのミッションを経験して、宇宙から国境など無い美しい地球を眺めた時に、国籍、人種ではなく、地球人として達観した境地に至ったのではないでしょうか。
今尚、絶え間無く世界の紛争は続いている。
もし、2人が生きていたら、少しは世界は変わっていただろうか?
もし、人類の多くが宇宙から地球を眺めることが出来るような時代がくれば、世界の紛争は無くなるのか?
今は想像することしか出来ない。Imagine all the people living life in peace...
あのスペースシャトルコロンビア号の空中分解の中で奇跡的に炭化せず残ったラモーンの日記の最終日にはこう記されている。
今日は、自分が宇宙で生きていると真に感じた初めての日だ。
私は、宇宙で生き、宇宙で働く人間になった。
この日記の言葉は間違いなく、イスラエル人ラモーンのメッセージではなく、地球人ラモーンとしての最後のメッセージになった。
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