時事

13歳になる娘がまた、私に聞いてきた。

「お父さん、日本は戦争しないよね!」

10歳の頃、イスラム国であった邦人とヨルダンパイロットの人質惨殺、そしてその報復とも言えるアメリカとヨルダンの空爆の報道に何かを感じ取って質問してきた以来の同じ質問の内容であった。(抜かずの剣こそ平和の誇りより)

今回は北朝鮮の最近の連発のミサイルで世界情勢が緊迫していることから不安になったのだろう。

「今回はねぇ〜万が一国にミサイルを撃ち込まれ、宣戦布告されたら戦うしかないんじゃないか!」と私は答えるしか出来なかった。

「だってこの前は日本は憲法で戦争はしていけない国と教えてくれたじゃないか⁈」
と私の答えに娘は反論した。

「自分の国を自衛しなかったら、誰が日本人を守るのですか?」と言う私のさらなる問いに娘はこう答えた。

「アメリカ!」

日本の多くの人々が心の奥底で、「きっとアメリカが日本を守ってくれる、それが無ければ何の為の日米同盟なのか意味がないでしょう。」
と思っているに違いない。

万が一、日本にミサイルが撃ち込まれ、宣戦布告され攻め込まれても、多くの日本人は焦土と化した日本の大地で「これは悪夢だ、何かの間違いだ!アメリカは何をしている、日本は平和憲法の国だぞ!」と呟きながら呆然としている風景が想像できる。

お金持ちの方は間違いなく、素早く¥を逃亡先の通貨や仮想通貨に変えて、日本から脱出するでしょう。戦争に巻き込まれるよりはと…日本人の多くが日本を捨てるシナリオがありえるかもしれない。

ではどうすればと聞かれれば私は専門家では無いので、難しいことは分かりませんが、これからの日本には自国防衛の為のナショナリズムを高めていく必要があるのではないか?

誰もが戦争はしたくはないが、万が一に備え日本人は「自分の国は自分で守る意識」と自国を防衛する軍備は絶対必要である。場合によっては永世中立国のスイスでも実施されているような徴兵制も必要なのかもしれない。

「抜かずの剣こそ平和の誇り」

抜かずの剣も日本の軍備が「竹光」では平和は維持出来ない。

今度娘に聞かれたら、こう答えよう。


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最近、ネット署名というのをよく目にする。
特に2007年にアメリカで発足した署名サイトでchange.org(チェンジドットオルグ)は私もよく利用してる。

同サイトではネット署名を集めたい個人や団体が陳情内容を登録し、陳情に賛同したchange.orgの登録者がインターネット上で署名を行う。

例えばアフガニスタン・クンドゥーズ州で、2015年10月3日、国境なき医師団(MSF)が運営していた外傷センターが、米軍の爆撃に遭いました。これは明らかにジュネーブ条約に違反する行為です。

事件の真相を明らかにするには、アフガニスタンやアメリカの調査では改ざんされる可能性がある為、第三者の調査機関による調査が必要です。

但し、それを実行する為には両国の承認が必要です。
MSFではオバマ大統領に調査へ同意するようにchange.orgのネット署名を通して協力をお願いしてる。

最近では熊本地震の影響で「川内原発を止めて下さい。」というキャンペーンが短期間で12万の署名を集めたといことで、ネット署名そのものか注目を集めている。

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https://www.change.org/p/

ただネット署名がどれだけの効果があるのだろうか?

調べてみると…

国会や公的機関への請願や陳情については、署名は原則として直筆でなければならず、真正性が確保できないネット署名は法的な拘束力をもたない。

しかし、署名者多数をもって陳情対象者へ示威行動をとるという意味では、一定の影響力をもちうる。


通常の手書きの署名自体がそれほど効力を持つこと自体が疑問で、むしろネット署名の方が短期間にFacebookやTwitterなどのSNSと連動して拡散、表面化していき陳情対象者に圧力をかけていくという意味においては効果的であると考えられ、色々な問題に取り組む陳情者や嘆願者にとっては今後重要なツールになると考えられる。

さらにchange.orgでは賛同者に署名後の活動の経緯や結果をメール配信してくれるのも、良く出来たシステムである。

一方、登録してしまえば、タッチ1つで署名出来るのもスピードという部分では有益ではあるが、確かな情報も確認せず安易な署名になる可能性も否めない。さらに実名などが集められているだけに、個人情報の漏洩(ろうえい)や不正利用の危険性が高いとも指摘されているいるのも事実である。




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2015年 9月1日 東京オリンピックのエンブレムは白紙撤回になった。

渦中のパクリ疑惑の佐野研二郎氏は発覚からネット民やマスメディアに袋だだきに合い、とうとう四面楚歌のような状況まで追い込まれた結果であった。

丁度、同じ時期に日本の外ではアメリカ人アーティスト、リチャード・プリンス(Richard Prince)の他人のインスタグラム画像を使用した作品が約1,000万円の高額で落札された。

その事が海外メディアで報道され、"盗用(パクリ)とアートとは?"という次元での物議をかもした一件でもあった。

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www.fashionsnap.com


↑↑↑プリンスに流用されたinstagram @doedeere

前者は疑惑というグレーゾーンにもかかわらず、コンペの賞金も貰えず、白紙撤回ということでその利権にもあやかれず、個人のプライバシーまで晒されるような社会的な制裁を受けている。

一方プリンスはインスタグラムに投稿された画像は転用が可能で、著作権侵害には当たらないという規定をうまく利用して、まんまと高額な落札額を得たのであった。

最近ではパソコンやスマホで簡単に文章のコピペは出来るし、写真や画像のアップロードもボタンひとつで、簡単に出来てしまう。

多少、語弊があるかも知れないが、多くの人がFacebookやinstagramなどのSNSやブログでwebからアップロードした画像やコピペした文章を投稿したりしている。それがパクリ(盗用)である自覚が無い人が殆どであろう。

それを考えると、あまり同情する気はなれないが、佐野研二郎氏が多くのパクリが存在する時代にそこまで叩かれるのはどうかなと思ってしまう。

むしろ広告のプロであるなら、絶対ばれないパクリ(盗用)をするべきであり、佐野氏自体がパクリ時代にどっぷり浸かってしまった為、感覚が麻痺して安易な模倣になってしまったのではないだろうか?

事実佐野氏は写真共有SNSのpinterestのアカントを持っており、それをデザインのネタ帳にしていたと思われる疑惑
が持たれている。(アカントは既に削除されている)

それと比較すると著作権のことでは何かと裁判沙汰やトラブルが多いプリンスは賢い。instagramの著作権が無いということを理解し、アートという名の元に堂々と流用している。

プリンスはこのパクリ時代を理解して、それをアートに変えてしまう、この時代の寵児と言えよう。

私はこの現代のその流れを全否定するつもりは全く無い。パクリもちょと見方を変えれば、引用するとか、シェアするというニュアンスに受け止めることも可能である。

ただ、全く面白味の無い、余りにも露骨な盗用は自重してもらいたいものだ。

色々な要素の模倣の蓄積とその組み合わせから、新しい発見を見つけ出すということがオリジナルティーを生む思考と考えるのが自然であろう。

むしろ、無から全てが新しく生みだしたとする発想の方が馬鹿ばかしく、胡散臭い話である。

第一、人類史上言葉でも道具でもひとつの発見と無数の模倣と無数の改良が、多くの叡智と文明を生んだのである。

2016年4月8日、2020年に開催される東京オリンピックの新エンブレム最終候補の4組が発表された。
前回のような安易な模倣と思われる様なものではなく、人間の叡智の結晶と思わせるようなエンブレムであってほしいですね。

Richard Prince: It's a Free Concert /KUNSTHAUS BREGENZ/Richard Prince リチャード・プリンス ハードカバー アートブック SONIC YOUTH ソニック・ユース
Richard Prince: It's a Free Concert /KUNSTHAUS BREGENZ/Richard Prince リチャード・プリンス ハードカバー アートブック SONIC YOUTH ソニック・ユース

RICHARD PRINCE:3RD PLACE(P) /D. A. P. (USA)./. リチャード・プリンス ペーパーバック アートブック SONIC YOUTH ソニック・ユース
RICHARD PRINCE:3RD PLACE(P) /D. A. P. (USA)./. リチャード・プリンス ペーパーバック アートブック SONIC YOUTH ソニック・ユースRichard Prince: It's a Free Concert [ Richard Prince ]
Richard Prince: It's a Free Concert [ Richard Prince ]





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『フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグ氏。次女の誕生合わせて、株式の99%を寄付することを発表した。
その規模は450億ドル。日本円で5.5兆円で自分の子供世代の為に寄付をする』

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初めてその話を聞いたときは、「やはりザッカーバーグは未来の世代のことを考えている、太っ腹だね!」
思わずその記事に「いいね!」を押してしまった。

ところが12/4の長谷川豊氏のブログのなかでそのカラクリを説明していた。

ええ!?5・5兆円もポン、と寄付するの!
すごい!さすがFacebookの創始者!
テレビやネットでは賞賛の嵐。あまりの気前の良さに、スタジオも称賛の声が吹き荒れた。
「これはすごい!」
「5・5兆円寄付しても、きっと金に困らないからだろうね!」
「娘さん、大人になったら誇らしいよね、きっと!」
最後に話を振った苫米地先生が、淡々と話し始めた。

「いえいえ、こんなの、アメリカじゃ当たり前の話で、美談でもなんでもないですよ」

あまりにあっけなく話す苫米地先生に皆が驚く。何を言い出すんだ?寄付したのよ?5兆円も!

(中略)

簡単に言ってしまえば、「節税対策」なのだ。

大量の資産を保持する人間は社会貢献のために「寄付」という形で何らかの「団体」を設立する。

すると、あくまで社会に対する「寄付行為」でしかないので、その金額に該当する税金が免除されるという仕組みだ。

なので、アメリカの多くの富豪たちがドネーションを行うのだが、実態はただの節税対策だったりするのが実態なのだ。

Facebook創業者のM・ザッカーバーグ氏の寄付は「いい話」でもなんでもないという現実 : 長谷川豊 公式ブログ 『本気論 本音論』

すごい節税のカラクリである。

確かに寄付ではなく 節税というと聞こえがあんまり良くありませんが、ザッカーバーグが何らかの不幸により死んだ場合 、巨額の相続税が発生して子供たちが破綻するとなればやらざるおえないでしょうね。

この仕組みだと生まれたばかりの娘には毎年1000億円以上のお金が転がりこんでくるのである。

イタリアでは裕福な家庭に生まれた子供は「シャツを着て生まれる」ということわざがある。まさにザッカーバーグの子供たちのようである。

その意味は昔は下層階級の赤ん坊は間引きのために殺されたり捨てられたりしたが,上流階級の赤ん坊は産着を着せてもらい可愛がられたといたというのが起源のようである。

それでは現代の下層階級と呼ばれるような子供たちとはシリアやイラクの戦地にいる子供達、難民の子供達、ナイジェリアでボコハラムに拉致されたり、殺された子供達、イスラム社会で自由を奪われ10代にも満たない内に結婚されられる少女達なのだろうか?

ザッカーバーグも私と同じく娘を持つ親ならば、その悲しみは充分理解できよう。

彼はFacebook上でこのような発言をしています。

僕たちはもうすぐ親になる

子が生まれたら、いろんなことをしなくちゃいけない

でもそれは僕たちの子に対してだけじゃないんだ

世界中のすべての子に対してなんだ

すべての子が持てる能力を発揮できる社会にしていこう


そう!「マララ ユスフザイ」も「ネルソンマンデラ」も子供達が平等に教育を受けることが豊かな未来を想像すると訴えている。

ザッカーバーグの意図とは長谷川豊氏の言うような単なる節税の意味もあると思うが、世界の子供たちの未来の為にあえて政府の力を借りず、自らの資産と意志で創造するインターネットを利用した教育システム普及であると信じたいですね。


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『聖☆おにいさん』という漫画をご存知だろうか?

2006年から「モーニング・ツー」で連載中の漫画で、世紀末を無事に終えたブッダとイエスが、下界のバカンスを満喫しようと、日本の東京都立川の安アパートの一室を2人でシェアして暮らすという設定で描かれる日常コメディ。
2012年9月にアニメ映画化が発表された。



うちの家族もみんな大好きで一時期かなりはまった漫画である。この漫画が今注目を浴びている。

それは『日本人の寛容性のある宗教観』の中で生まれた漫画とも言えるからだでしょう。

日本はお宮参りは神式、クリスマス、ハロウィンはキリスト教、結婚式は仏式、神式、キリスト教の何でもアリ、そして御葬式は仏式というように世界でも類をみない宗教の形骸化が進んでいる国である。

たぶん日本人の殆どが「あなたの宗教は?」と聞かれて首をひねるに違いない。

『聖☆おにいさん』はこういう環境だからこそ生まれ、多くの人から受け入れられたのであろう。

その宗教観に関しては僧侶の松山大耕氏の「クリスマスと正月が同居する日本」という記事に詳しく書いてありますで参考にして下さい。

パリの同時多発テロ以降ますます世界の宗教のあり方というものに目が向いているのは間違いないのですが、日本人の宗教観と言うものは前述の通り全く別物である。

しかし一方で『聖☆おにいさん』の海外の反応をかいた面白い記事がありました。

海外「日本には真の自由がある」 ブッダとイエスのギャグ作品に外国人が衝撃


もしかしたら海外の若者達の間での宗教観はすでに"敬虔な"というものが薄れ、"寛容な"ものに変化しつつあるのではと考えられます。

日本人の私から見れば中東で生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神を信じる一神教の宗教でありながら、どうして長年の間、争いが絶えないのか不思議でなりません。

『聖☆おにいさん』のブッタもイエスもそうなのですが、日本人の宗教観というのはお互いの信仰を尊重する寛容性のあるものです。そういう宗教観を日本人が発信していくことが、世界を素晴らしい場所に変えていく手掛かりになると信じています。




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